大森元気/残像のブーケの制作日誌

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2018年1月26日 架空のリアリティ

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「リアリティ」ということについて考えることはよくある。架空のストーリーで書いた歌でも、聴き手に「これは自分のことを歌ってみるみたいだ!」と思ってもらえたらそこにはリアリティがあるということなんだと思っている。その逆もしかりで、自分のことを正直に忠実に書いたからといってリアリティがあるということではないのだ。

ぼくが残像カフェの時代に書いていた書き方は、いくつものエピソードを1つのストーリーに組み立てるやり方。それは自分のことももちろんだけど、過去のいろんな時のことや他人のことを1つの物語のように仕立てたり、それらを脚色したり、時には友情を恋愛に変えたり、妄想したりあれこれしながらそれを1つの歌にしていった。”リアル”を材料にして”架空”を組み立てていく、そんな感じ?

そうして出来たストーリーらしきものやフレーズたちは、同世代のみんなの心を打ったようだったし、今聞いてもセンチメンタルな気持ちになるのはそういうこともあるのかも知れない。

その後ソロになり、バンド編成を続けながら弾き語りもたくさんやるようになったとき、「バンドの曲を弾き語りでやってみました感」が嫌で、一人でやってもアレンジが成立する曲を作りたかった。そうなると曲調は自ずと自分の原点であるフォークに移っていったし、バンドはバンドでディランや拓郎みたいなフォークロックの気持ちよさにはまって行くうちに、そういう曲たちにつける歌詞は、架空のストーリーよりも自分のことが増えていったように思う。

友部さんみたいにもう少し詩人然とした歌詞を書いていたら?そんな選択肢はリアルタイムでは思いつかなかったけど...それはちょっと興味深いなぁ。

もちろん残像の頃のような書き方でも書いたけど、いつのまにか自分のことを歌う歌が増えていたなあ。それは必ずしも悪いことではないし、評価してくれた人もたくさんいたけれど、理屈っぽいのや、渋すぎるものは疲れるし、それに気づいて去年の春くらいにブログに書いたけど、「また残像のときみたいな作り方をしてみたい」って言っていたのはそういうことだった。

女の子の視点で描いた「メランコリー」(作りかけだった)を仕上げようと思ったのもその理由からだったし、その線でもうすこし曲を作ろうと思った。

結局、逆行するように「旅するように歌うのだ」というドキュメント的な曲が出来てしまって、あれまたかと思った部分もあるのだけど、「冬のカーブ」という新曲を、恋の始まりの内容をやめて失恋の歌に書き換えたり、「ぼくの愛する暮らし」にあえて「東京」という言葉を入れたりして(僕にとっては東京はもうあまり入れる必要はなかった)、今回については割とそういうバランス的なことを考えたりもしている。

何をもって「リアリティ」というのかは、人によるのかもしれない。けれど独りよがりじゃないこと、それから、全部描きすぎないこと。それは今まで以上に考えていきたいなぁとちょっと思っている。



1/26(金)
◆作りかけの曲の作曲作業。
・「冬のスリーフィンガー/仮」 並べて聴くため12/29弾き語りデモをiphoneに入れる。

・「人生は大変だそして楽しいんだ/仮」12月時点のメロディーのまま弾き語りREC。


◆子どもができて作る歌は...
・同じく曲づくり。タイトルは無いが子どもに関する歌。

子どもができたとわかった頃書いた歌詞でメロディーはついていない。タイミング的に「収録するなら今回では?」と思って曲をつけてみている。(2日前にもつけてみたが却下した)

7割方できたところで、そもそも歌詞がありきたりでクオリティも低いように思え、唯一よいと思えていた3番部分の歌詞も「息子が生まれた親」という設定で、自分は娘親なのでリアリティがない内容だなと気づく。クオリティが達するならそれでも詰める価値はあると思うがそこまでいかなそうなのでボツにすることにした。あと似たテーマでもう1曲書きかけていることもあり。

そのもう1曲のほう(「仮/きみに伝えたいこと」)もまだメロディーが付いていないが、どこまで共感してもらえるものを書けるか。そもそもこの時代、子どもについての歌を書くこと自体に賛否両論あるのかも知れないが、そこは挑戦してみたいとは思っている。