大森元気/残像のブーケの制作日誌

カテゴリから時期別・内容別に検索できます。スマホ版では非表示ですがアドレスバーの「あぁ」をクリック→「デスクトップ用Webサイトを表示」を選択するとPC表示になり検索可能になります(iPhoneの場合)。

ステイホームの中どう発信していくか?そして違和感の話(2020.3.28−4.24)

f:id:kitakamadays:20201028121324j:plain

少し日付は戻ります。ステイホーム期間となり、日常的にライブやリハーサルをしていたミュージシャン達のライブ活動、そしてそれにまつわるライブ会場や制作会社、スタジオなどの仕事がすべて止まってしまった。そんな中、できることはないかと考えたミュージシャン達が一斉に自宅から配信を始めた、そんな時期の話です。

◆自宅から発信する音楽~うたつなぎ
2020.3.28(土)
まわりのいろんなミュージシャン友達が自宅で歌う動画をアップしている。これはこの後「うたつなぎ」なる名前がついてチェーンメールのようになっていく。(「次は誰誰に回します」というふうに指名していく)

この日は自分もそんな自宅からの投稿/配信を視野に入れ、午前と夜と練習がてらちょっと歌ってみた。が、小声でなんとなくの雰囲気でやるのがあんまりピンと来ない。

聴く人にしてみたら大事なのは自宅で歌っているという状況だけで、だから全力である必要はないのだが自分としてはどうしてもダイナミックを付けたくなってしまう。


3.29 (日)
前日に続きまた家で歌ってみる。最初はやわらかく歌ってみて「いい感じかも?」と思えたが、どんどん熱くなってしまい終了。全力で歌えない環境へのストレスもあるか...。

普段の練習や作曲のときは小声というか7割くらいの歌い方で歌っている。そのくせ公開用と考えるとそれでは不十分だと思えてしまうのだ。激しく歌う大森元気など求められていないのかも知れないが、やわらかい歌もあれば激しいものもあるというふうにどうしてもバランスを取りたくなってしまうのだ。

でも気が進まないのはもっと別のところに理由があるような気もする。それは下の方に書くことにする。


◆発信する世界的な動き~リモートセッションやフリーコラボ
4.5 (日)
自宅から弾き語りする流行りはまわりの友人たちだけでなく、メジャーなアーティストも始めていて、どうやら世界的なブームのようだ。この日はラジオでも取り上げられていた。

また、レーベル/クリエイターチーム「origami PRODUCTION」の対馬芳昭氏が2000万円を投げ打って権利フリーの素材を多数公開し、それに各自が自由にコラボしたトラックを販売してよいシステムを公開して話題になっていた(origami home sessyon

さらには記憶に新しいが、星野源氏が公開した弾き語り素材に自由に楽器を重ねてコラボする投稿がSNSにあふれたり(前首相のコラボも議論の的に)、それからバンドメンバー達がそれぞれの自宅から楽器を弾き、画面上で合成させる試みなども多数見た。


◆自分も発信すべきか、どう発信するべきか
みんながいっせいにSNSで歌い出して、自分もやったほうがいい気もしつつ、幸か不幸か「うたつなぎ」は誰からも回ってこなかったし(ほっとしたけどちょっと落ち込んだ)、そういう流行りの動きがあったときに「乗ってみよう!」ではなく逆らってしまうようなところもあるのでその気持ちの持っていき方に悩んでいた。

あと実際問題として音楽以外の仕事もしているので時間はそんなに増えていない(むしろやること・考えることが増えていっぱいいっぱいになった)ということ、そして何よりもレコーディング/編集作業も2年半に及びまだ終わっていないからそれを終わらせるほうが先なんじゃないか?と。

この日も先週に引き続き練習として歌ってみた。やはり同じ結果で最初から最後まで小声で終わるのが、実力を出し切れていないみたいで不満が残る。やることに意味があり、その程度でも十分ということは分かっているのだが、頭のどこかでそれを拒否してしまい、どんどん激しい演奏になってしまう(近所迷惑!)

結局先週に引き続き今週も練習のみで終了。そうやって旬やタイミングを逃していっていることにも自己嫌悪。


◆モヤモヤの正体
それから2週間ほどした頃。リクオさんがSNSにこんなことを書いていて、自分がかかえていたモヤモヤが単に大声で歌えないストレスだけでなく、その答えを教えてもらえたような気がした。引用してみたい。

リクオさん2020/4/24のFacebookより】
 (「/」印は改行されていた箇所を僕のほうで改行なしにした箇所です)
──引用ここから──
主に自宅からの配信ライブをミュージシャン同士がバトンリレーする企画「うたつなぎ」の動画が、SNS上を賑わせている。/
自分のところへも知り合いミュージシャンからそのバトンが何度か回ってきたのだけれど、その都度、丁重にお断りさせてもらっている。

コロナ禍の世の中を明るくする好企画だと理解しつつも、自宅からの配信に関しては、誰かに促されてやるのではなく、まずは自発的に発信したい思いがあり、それ以前の配信は控えておきたかったのが一番の理由だ。/せっかく自分を選んでもらったのに、断ってしまうことに心苦しさも感じたけれど、自分のタイミングを優先させてもらうことにした。

まわりの状況も自分の心持ちも変化してゆくので、1週間後には考えや態度が変化して、誰かのバトンを受け取っているかもしれないけれど(それもよしとしている)、今は、持て余しがちな感情に向き合いながら、一つ一つの発信を丁寧にやっていきたい気持ちが強い。/しばらく遠ざかっていたブログを更新するようになったのも、そういった思いによる。
──引用以上──
投稿と同じものがブログでも公開されています
リクオさんblog - 気まぐれダイアリー: 「うたつなぎ」のバトンリレーを断っている理由


そうなんだ、自分がうたつなぎに対して何となく思っていたモヤモヤは、友人から回ってこない寂しさもあるけど、もう半分は人のペースにまきこまれてしまうことへの違和感だった。それに促されてやったとしても「自発的でない」ということ、そして「自分のやり方でやれない」ということもあったんじゃないかと気づいた。

もちろん、そんなふうにやっても誰かを勇気づけられるのならやる価値はあるのだと思うが、そんな居心地の悪さを感じながら、納得のいかない形で発信するのはやはり何かが違うのだと思った。

そして、そう思うことは逃げではないのだとリクオさんに言ってもらえた気がしたのだった。


◆自分のやり方で発信すること
うたつなぎは断っていたリクオさんだが、納得のいく形で配信をスタートさせていく。自分の納得できる方法でしっかりと発信していく姿勢はさすがで、尊敬する。

同じ投稿の続きを転記します。

──引用ここから──
(中略)
ツアーから離れ、京都の部屋にこもる生活を始めてから、既に一月近くが経過した。(中略)この1ヶ月は、心身をメンテナンスしながら、想いを巡らせる時間を大切に心掛けた(お陰でツアーに出ていた頃より体調が良い)。同時に、ここ最近は、長期戦を想定しながらの具体的な準備にも入った感じだ。

今週中には、自宅でのピアノ弾き語りによる新曲の収録を行って、自身のYouTubeチャンネル「rikuonet」を通して、近日中に公開できたらと思っている。(中略)2週間前にはYouTubeチャンネル収益化の申請を行い、先日認可が下りたばかり。一様、ユーチューバーへの道が開かれたわけだ。今後、YouTube機能の一つであるSuper Chatなどを使ったライブ配信も考えてみたいと思う。
──引用以上──

リクオさんのYOUTUBEチャンネル】https://www.youtube.com/user/rikuonet

この時期、うたつなぎもそうだったし、批判の声をあげるべきときにあげないとミュージシャン失格みたいな風潮もあった。「言わない=日和っている」という雰囲気、発信しないことで罪悪感を感じるような、そんな空気をSNSに感じていた。(彼らに悪意はないし、言っていることは正論なのだからそれをどうこう言うつもりはないんです)

勝手な思い込みかも知れないし、誰をフォローしているかでも変わってくるし、配信だってみんなはもっと軽い気持ちでやっているだけだろう。それは分かっているんだけど、焦っている自分もいた。余裕がなかったなあ。

当時のブログでも書いたけど、ステイホームになって時間が増えるどころかいろんな支援やら動きやらでやることが急に増え、時間や気持ち的な余裕がなくなった。自分の感染や家族にうつす恐怖もあった。そこへSNSのそんな殺伐とした空気もあって。

10年くらいTwitterやっていて日に何10回も見るのが日常だったけど、初めてアプリを見つけづらい場所に移動して見る回数を減らした。そうやって自分を守らないと気持ちが壊れてしまいそうだった。

自分のペース、自分のやり方で。発信する/しないの問題ではなく、自分に納得のいくペースややり方でやることが大事で、それでいいんだと。

自分の今やるべきことは──欲を言えば発信と同時進行だけど──一番はレコーディングを終わらせること。そして気持ちをしっかり保つこと。家族が無事でいること。

だから言い訳にするつもりはないし、音楽だけで食べている人からは甘いと言われるかもしれないけど、うたつなぎ系のものも、コラボ系のものもやらなかったし、自分のやり方で配信を始めたのは6月になった。

でも、それでよかったと思っている。それぞれのやり方で。それで自分が納得できるのなら、それぞれの正解があるんじゃないかと。