大森元気/残像のブーケの制作日誌

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専門外のアイデアを取り入れていくときに大事なこと(2019.8.31~9.10)

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画像:言わずと知れたくるりのメジャー3作目『TEAM ROCK』。生身のロックバンドだった彼らが打ち込みやダンスミュージックを取り入れファンを驚かせた。当時の発言によるとダフトパンク「ONE MORE TIME」がキーワードになっていたように思う。

8/31(土)
「boys & girls」
ストリングスアレンジ再スタート。
ドラムを録った直後(1年前の2018年秋)に一度アレンジをしていて、それを元に必要な部分だけ残しあとは新たに作っていく。昨年のものは饒舌すぎて歌を邪魔していたので、今回は極力シンプルに。


9/1(日),  9/2(月)

同曲
ストリングスつづき。フレーズはだいたい決まり、暫定的だがオクターブ下とオクターブ上を重ね、一部は和音にしてみる。

この曲に関しては多重的なハモりや対位パートのような、本物の弦楽四重奏のように組み立てるアレンジは必要ない気がしている(それは別の曲「メランコリー」でやった)。音色も生っぽさを目指すのではなく、あえてシンセストリングス的な音でもいいかも知れない。


9/3(火)
同曲
●ボーカル(去年REC済)
→仮で編集してあったものをチェック。一部再編集。

◆アレンジ改造(「ONE MORE TIME」風?)
2番、サビに入ると同時に突然バンドが消えるアレンジを編集で作成。歌とストリングスだけになり、その後次第にバンドがフェードインしてくる。(サビの回数も増やした)。

これは今回のRECより前、2014年に制作していた打ち込みバージョンで用いていたアイデアで、それを今回の生演奏バージョンに融合させた形。

記事冒頭にダフトパンク「ONE MORE TIME」のことを書いたが、このアプローチも同曲のイメージがなんとなく頭にあったように思う。


◆EDM的要素?
●ストリングスを生系かシンセ系か迷い中だが、それとは別にリード的なシンセを追加するのも面白そう。

前述、2014年の打ち込みバージョンを融合させるアイデアの延長で、ハウス/EDM系の要素を加味していくのは面白いように思える。

今回のアルバムはストリングスというチャレンジはあるにせよ、それ以外はわりとオーソドックスなバンドサウンドで、いわば原点回帰的な印象なので、1曲くらい攻めの曲があってもよいと思うのだ。


9.4(水), 5(木), 7(土), 10(火)
同曲
●Vo編集
●ストリングス・シンセ続き

整理して、Bメロとサビでメインの楽器が変わるようにしてみる。
・Bメロ→シンセ中心
・サビ→ストリングス中心


◆専門外のアイデアを取り入れていくときに大事なこと
何度か書いているけれど、2014年、打ち込みを導入したての頃は一時的にせよロック/フォーク/カントリーなどそれまで馴染んでいた音楽の要素を封印したい気分になったことがある。「自分らしさを無くせば無くすほど良い」みたいな、バランスとかイメージとか一旦置いといて振り切れるだけ振り切ってみようと、そんな気持ちでチャレンジしていた。


新生・大森元気 初ライブ-ダイジェスト(2014.5.7晴れたら空に豆まいて)
その第1弾となったライブのダイジェスト。macとシンセ(MIDIコントローラー)をステージに持ち込んで数曲はギターも弾かなかった。

その時期のことについては後悔していないのだけど、今の気分は少し違って、様々な要素を取り入れつつも自分らしさとの融合を図り、冷静さをもって制作したいというモードでいる。

もちろん自由に作るべきだし、何でも取り入れてみるのは良いこと。けれど、それを自分よりも長く、深く愛してる人がいるということ。そういうリスナーが聴いたときに「ダサい」とか「安易だ」とか思われてしまったとしたら、それはちょっと熟慮が必要だなあと。

けれど必ずしも専門的でなければなければいけないと言っているのではない。クラブ系のコンポーザーになるつもりもないし。ただ、自分らしい──言い変えると大森元気として鳴らす意味や需要のある──作品を作る行為の中で、自分のセンスで取捨選択をする、そのOKライン・センスは厳しくしないといけないということ。

たとえば細野さんやくるりはカントリーもやるし、打ち込みもやるし、あらゆる音楽を常に取り入れているが何一つ矛盾なく映る。それは彼らのアンテナの向け方や、OKラインの判断や、採り入れ方のセンスがしっかりとしているからだと思う。(もちろん聴いてきた量や知識量だけでも半端ないってこともあると思うけど)

センスを磨くこと。そのセンスを磨いてさえいれば、取り入れる要素がバラエティに富んでいたとしても、あるいは目新しくてミーハーに映りそうなものだとしても、散漫には映らないだろう。

それは常に意識的になったほうが良いように思える。得意なものだけではつまらないものしか生まれないから貪欲になるべきだ。けれどそんなことを考えていた時期です。